「伯楽」という言葉は、「人物の能力を引き出し育てるのが巧みな人」という言葉で知られていますが、
古代中国では天馬をつかさどる星の名前から『名馬を見分ける名人』のことを指し、
それが転じて「馬の医者」の意味を持つようになりました。
実は磯部家は先祖代々馬医者を業としておりました。
その時のなごりとして、今でも馬頭観音を祀っています。(本社正門横:下写真)
元々は愛知県の磯辺郷の出身で、徳川家康が関東移封の際に随行し、当時は川越街道の宿場町で、
現在本社のある和光市に移り住んだものと伝えられています。
現会長が創業の際に、社名に「伯楽」とつけたのには、このような由来があるからです。
私ども伯楽製鋲所は、精密機能部品製造の分野で、社名に違わぬ「名伯楽」となるべく、日夜努力しております。
これからも市場ニーズを見い出し、素材と加工の特性を見極めた精密機能部品を、産業界に提供し続けます。
1977年に生産の拡大と合理化の目的で、伯楽が工場移転の地に選んだのが米沢でした。
ここ米沢は、希代の名君・上杉鷹山の思想が、脈々と受け継がれてきている土地であります。
上杉鷹山は、危機的状況であった米沢藩を復興させ、その思想は現代でも高い評価を受けています。
その鷹山公の思想に、伯楽も時をへだてて薫陶を受けました。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
これは鷹山公が次期藩主に教訓として詠んだ有名な歌ですが、伯楽も「なせば成る」の精神で、
これまで様々な難局・課題に立ち向かってきました。
また伯楽の推奨している「省材節賃工法」は、「質素倹約」の思想に通じる工法です。
伯楽にとって米沢は、生産の拠点としても、心の拠り所としても重要な土地であります。
これからも米沢の勤勉と人間尊重の風土を愛し、ともに歩み続けます。